下灘の夕陽を求めて 【2】下灘駅と新幹線 ◆ |
日が傾き始め、目的の下灘駅に向かうところです。 今回は下灘駅の景色の移り変わりを紹介します。 そして日が変わり翌日は、四国鉄道文化館を訪問し、展示車両を見学します。 2011年4月3日(日) 高野川(925D) →下灘 ◆ 高野川駅を出発したあたりから、海沿いを走るので景色がとても美しくなります。 下灘に到着です。 日没時間を計算し、この駅で夕陽を待ちます。 残念ながら曇り空ですが、どんな日没が見れるのか楽しみです。 映画「男はつらいよ」19作の「寅次郎と殿様」のロケに地もなった下灘駅のベンチ。 劇中で、寅さんはこのベンチで寝ていたようです。 2人で夕陽を見にこられたのでしょう、とてもいい雰囲気でした。お幸せに。 (※このカップルの方へ。もしも当サイトをご覧になりましたら是非ご連絡ください。) 明るいうちに駅ノートを描かせていただきます。 そろそろ日が傾き始めました。 空を見上げると、一筋の飛行機雲。ほのかに夕焼けです。 ぼやっとしたやさしい夕陽でしたが、やがて海に消えていきました。 日没後は穏やかな夕焼け空が広がります。 下灘駅の景色を動画で撮影しました。 駅の外灯も点灯し、いよいよ宵の口です。 下灘(929M) → 伊予大洲(4666M) → 内子(4666M) → 松山 ◆ やがて伊予大洲に向かう列車が到着し、下灘駅ともお別れです。 乗車した列車は乗客が私一人だけでした。 真っ暗な海辺を走ります。 伊予大洲に到着です。 伊予大洲は江戸時代、大洲城の城下町として栄えたところです。 駅からしばらく行った所に大洲城があり、城下はきれいに整備された観光の街となっています。 今回は夜も遅いので乗換えだけになりました。 内子経由の松山行き、丸目のキハ32に乗り換えです。 この先、宇和島行きの最終列車キハ54が接続しています。 内子に到着です。 この駅で、特急の退避で少しの間停車します。 駅前のSLを見ようと思って下車したのですが、真っ暗でよく分かりません。 駅前もコンビニどころかお店ひとつなく、仕方なく停車中の松山行きに戻りました。 このまま、松山に戻り駅前の温泉に入り、宿泊です。 翌日は早朝から予讃線を戻り、坪尻へと向かいます。 2011年4月3日(日) 松山(124M) → 伊予西条 ◆ 始発列車で松山を後にし、伊予西条に向かいます。 お目当ては、四国鉄道文化館です。 ここに保存されている0系新幹線と、動体保存されているDF50を見学に行きます。 とりあえず、眠い目をこすりながら松山駅に着き、まだ夜も明けきらぬ早朝の松山駅を撮影しました。 始発の多度津行き7000系に乗車します。 やがて夜が明け、瀬戸内海沿いを走ります。 曇っていてきれいな景色が見えなかったのが残念です。 伊予西条駅に到着しました。 駅前はロータリーになっていて、少し栄えた街の駅という感じがします。 伊予西条(徒歩) → 四国鉄道文化館 ◆ 伊予西条駅に隣接する四国鉄道文化館に到着です。 規模は大宮の鉄道博物館とは比べ物にならないくらい小さいものですが、その展示内容はとても魅力的です。 入り口には腕木信号が展示してあります。 開園は8時からと朝早くから開いています、 入場料も大人300円とかなりお安く、アットホームな展示施設で、個人的にはかなり好きです。 また、床や展示車両が汚れないように土足禁止で、入り口のスリッパに履き替えます。 床が体育館のような木の床で、清潔な感じがしました。 私が一番乗りでしたので、他のお客さんもおらず、静かに独り占めすることができました。 展示車両はこの2両だけですが、じっくりと見ることができます。 まずは0系新幹線から見て回ることにします。 実物は見てのとおりかなりの大きさです。 新大阪駅のホームに停まっているところは何度も見たことがありますが、改めて見るとかなり大きく見えます。 真正面から、ちょっと斜めから、いろんな角度で見ることができます。 客席に立ち入ります。 シートは少し更新されていると思います。 昔の車両はもっと、昭和チックなデザインのシートだった気がします。 シートの座り心地やテーブル、灰皿の作りなど、今の新幹線とはぜんぜん違います。 続いて運転台です。 弁天町の鉄道博物館でも0系の展示がしてありますが、いろいろな部品が固定されていてあまり触ることができません。 でもここは、マスコンからブレーキからいろいろな部品に触れる動かすことができ、日々のメンテナンスがきちんとされています。 0系特有のタコメーターです。 今やデジタルが当たり前なんですが、なんというアナログのタコメーター。 液晶やLEDの技術もまだなかった時代ですので、当時の技術力では限界だったのでしょう。 運手席横の窓、その下に面白いものを発見しました。 方向幕の駅名対照表です。 今やつっこみどころ満載の種別と行き先ですね。 まず、のぞみの種別がないのと、懐かしい小郡の文字、そしてどういうときに使うのか西明石行きのひかりとこだまの種別。 運転台を見学した後は乗務員扉から外に出てみました。 この丸みのあるデザインは0系特有です。 今や全廃され、もう博物館でしか出会うことのない車両になりとても残念ですが、これも歴史の流れでしょう。 2011年現在では山陽新幹線が九州新幹線に乗り入れが鹿児島中央まで、そして東北新幹線が新青森までつながっています。 これで日本列島の本州から九州まで新幹線でつながった事になります。 計画ではこの先、北海道新幹線、着実に工事が進行している北陸新幹線、新幹線用に土地を確保している長崎新幹線。 そこに走る車両はすべてはこの0系が基点となっています。 新幹線の原点知る事も、今後の新幹線を知るうえで大切なことなのかもしれません。 続いては、0系の横に展示してある動体保存のDF50を紹介します。 |